出産入院がつらかった理由|産後、心が限界だった私の記録

出産そのものは、たしかに大変でした。
でも振り返ってみると、私が本当にしんどかったのは「出産」よりも
そのあとの「入院生活」だったように思います。

私の中で「出産を終えること」が最終ゴールになっていたからかもしれません。
燃え尽き症候群、という言葉が近い気がします。

出産後の生活については、正直そこまで具体的に考えていませんでした。
だから入院中に起こることは、予想外のことばかりで、
気づかないうちに心が少しずつ削られていきました。


このテーマについて、私は3つの記事を書いています。
それぞれ、役割が少しずつ違います。

記事1|出来事
出産入院中、病院で「教えてもらえなかった」と感じた具体的な出来事。

記事2|気持ち
出産そのものよりも、入院生活がつらかった理由や、そのときの心の状態。

記事3|考え方
前提条件が共有されない空間で感じてきた違和感と、最近たどり着いた折り合い。

授乳のたびに、正解が変わっていった

授乳のあとにミルクを足す、という流れで過ごしていました。
授乳の様子を見に来る看護師さんは、そのときどきで違います。

ある人は「それでいいですよ」と言い、
別の人は「そうじゃないですね」と言う。

前回言われたことを守っていたつもりなのに、
次に来た人には否定されるように感じることもありました。

人の数だけ考え方や言い方が違うのは、頭ではわかっています。
でも、出産直後のぼんやりした状態では、
その違いを受け止める余裕がありませんでした。

「じゃあ、私はどうしたらいいんだろう」
その疑問だけが、ずっと残っていました。

何を言われているのかわからないまま、時間だけが進む

説明を受けているはずなのに
何を言われているのか、うまく理解できないこともありました。

聞き返せばよかったのかもしれません。
でも、その元気がない。

わからないままうなずいて、
わからないまま授乳をして、
また次の時間がやってくる。

その繰り返しが、じわじわと心を疲れさせていきました。

自分に都合のいいやり方を、選ぶしかなかった

全部のアドバイスを完璧に守ることはできませんでした。

だから私は
「これならできそう」
「今の自分にはこれが楽」
と思えるやり方を、少しずつ選ぶようになりました。

それはいい意味での割り切りというより
そうしないと気持ちがもたなかった、という感じに近いです。

正解が一つじゃないなら
せめて自分が苦しくならない方法を選びたかった。

夜、ベッドの中で泣いていた

「もう帰りたい」

そんな言葉が、何度も頭に浮かびました。

あと何回、ここで授乳すればいいんだろう。
この生活は、いつまで続くんだろう。

夜、ベッドの中で、声を出さずに泣いていました。

当時はコロナ禍で、出産の立ち会いはもちろん、 面会も一切ありませんでした。

就寝前のほんの少しの時間だけ
電話で家族と話すことが唯一のつながりでした。

もし少しでも家族に会えて顔を見て話せていたら
この心細さは、もう少しだけ和らいでいたのかもしれません。

ホルモンの影響もあったのかもしれません。
でも、その一言で片づけてしまうには、 確かにつらかった記憶です。

理由はわかっていても、怖かった見回り

ベッドの場所は廊下側でした。
夜になると、薄いカーテンを閉めて過ごします。

看護師さんの見回りが必要なのは、ちゃんと理解しています。
安全のためだということも頭ではわかっていました。

それでも眠っていてふと目が覚めたとき
カーテンの隙間から顔をのぞかれた瞬間は正直とても怖かったです。

一瞬のことなのに、心臓がドキドキして眠れなくなりました。

ホラーですやん!と今なら言えるけれど
そのときは本当に、ただただ不安でした。

母子同室でも、ずっと不安だった

部屋の廊下側にベッドがあること自体が、私には不安でした。

自宅でも、私はなるべく廊下から離れた場所で寝るようにしています。

それなのに入院中は
私よりも大事な子どもが、さらに廊下側に寝かされる形になりました。
それがどうしても嫌でした。

病棟が施錠されていることは頭では「大丈夫」とわかっています。
それでも、誰かに子どもを連れ去られる夢を見てしまうことがありました。

連れ去られても、私が疲れて眠っていたら気づかないかもしれない。
あの見回りの体験があったからこそ
「簡単にカーテンの中をのぞけてしまう」
という感覚が強く残り
それが、子どもを連れ去られるかもしれないという
不安にもつながっていたのかもしれません。

その不安がつらくて、私はほとんどの時間を
子どもを看護師さんたちに預けて過ごしていました。

本当は、その理由をきちんと伝えられたらよかったのかもしれません。
でも当時の私はそこまで説明する気力がありませんでした。

今振り返るとあのときは本当に体調も心も
かなり限界だったんだと思います。

出産前から、ある程度は想定していた

出産前から、私はリスクのある患者として扱われていました。

10代後半からメンタルクリニックに通っていたこともあり
出産をきっかけに精神的な調子を崩す可能性がある
という説明も受けていました。

だから、入院中につらくなったことは
「まったくの想定外」というわけではなかったと思います。

もしかしたら
精神的に大きな不調を抱えていない人なら、
ここまで苦しく感じなかったのかもしれません。

これはあくまで、私の場合の話です。

誰かを責めたいわけではない

病院が悪かったと言いたいわけではありません。

看護師さんたちも、仕事として最善を尽くしてくれていたと思います。

それでもあの出産入院の時間が
私にとってつらかったのは事実です。

「こんなふうに感じる人もいる」
ただ、それだけの話としてここに置いておきます。

この気持ちも半透明のきもち箱に。

この経験を通して
「前提条件が共有されない空間」そのものが苦手なのだと
あとから気づきました。

そのことについては、また別の記事でまとめるつもりです。

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