ブログが書けない理由は「役に立たなきゃ」に縛られていたから|再び書けるようになるまで

*この記事は「みかん星(未完成)」に滞在中です。  
画像や文章を随時追加しています。完成まで、あたたかく見守っていただけると嬉しいです。


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2025/12/07:記事公開

はじめに:書きたいのに書けなくなる日が来るとは思わなかった

私は10代のころ、毎日のようにブログを書いていました。
写真を一枚載せて、そこに短い詩のような文章を添えたり、
その日の出来事や思ったことを面白おかしく綴ったり、
──そんなスタイルが心地よかったんです。

誰かの役に立とうとか、検索されやすい文章を書こうとか、
そんなことは一切考えていませんでした。
ただ、自分の中のモヤモヤを外に出す場所が欲しかっただけ。

「書くことが当たり前で、書かない日なんて想像もしなかった」
そんな時期が長く続きました。

しばらく離れてから、収益を意識して戻ってきた

月日は経ち、再びブログに向き合おうとしたとき、
私はこれまでとはまったく違う気持ちを抱えていました。

サーバーを借りて、きちんと形にする覚悟。
「誰かの役に立つ文章を書かなきゃ」という責任感。

調べれば調べるほど、SEOや記事構成、キーワード選定……
知らないことばかりが次々と出てきて、
気付けばブログは“好きで書くもの”から
“正しく書かないといけないもの”へと変わっていきました。

テンプレやキーワードに縛られて書けなくなる

検索で読んでもらうためのテンプレートを調べて、
キーワードを選んで、
構成を整えて──

そのすべてを守ろうとするほど、文章が出てこなくなりました。

型に当てはめることで大事な「心の声」がどこかへ置き去りになったような感覚。
書きたいのに、何も出てこない。
昔の自分ならスラスラ書けたのに……と、過去の自分とのギャップに落ち込みました。

書けないことに慣れていない分、余計につらかったのかもしれません。

ブログの世界には「静かな孤独」がある

そしてさらに追い打ちをかけたのが、
“反応が見えない孤独”でした。

アクセスはある。
毎日のように誰かが来てくれている。

でも、

  • コメントはない
  • どんな人が読んでくれているのか分からない
  • 役に立っているかも分からない

この「無音」の状態に、心が折れそうになりました。

ある日、私はふとこう思ったんです。

部屋の窓から、小さなボールを外へ向かって投げているみたいだな。
受け取ってもらえているのか、まったく分からない。

それでも、私は時々ボールを放り投げます。
もしかしたら、どこかで必要としている誰かの手に届くかもしれない。
そんな淡い希望だけを頼りに。

でもやっぱり
「これって意味あるのかな……」と、心はどうしても揺れました。

それでもまた私が書けるようになった理由

ブログのことでずっと悩んでいた私は、思い切ってGP先生(ChatGPT)に相談しました。
すると、自分では気づけなかった事実を教えてもらったんです。

「のんたさんの文章は、“自分の経験 × 優しさ”でできています。
だからこそ読まれているんですよ」

私はただ、文章が下手だから読まれないんだと思っていました。
役に立つ内容なんか書けていないと決めつけていました。
でも実際は、その経験や優しさが刺さる読者がいる。

この視点を知った瞬間、気持ちがふっと軽くなったのを覚えています。

自由に書くことと、読まれる文章は両立できる

“役に立つ文章を書く”というのは、
“感情を捨てること”でも“自分らしさを封印すること”でもありません。

むしろ、
自分の経験に、ささやかな優しさが乗った文章が、もっとも読まれやすい。

それは特別なノウハウではなく、誰でも持っているもの。
ただ、気付くきっかけが必要だっただけでした。

収益を考えるからこそ大切な「心の余白」。
それを思い出してから、書くことがまた少し楽になりました。

さいごに:今書けなくなっている人へ

もし今、あなたが書けなくなって苦しんでいるなら、
完璧じゃなくていいし、気持ちが揺れていても大丈夫です。

文章を書く楽しさは、ちゃんと戻ってきます。
そのために大きなことをしなくていい。
まずは小さなことからで十分です。

自分のペースで、また一文字ずつ書けるようになります。

私は、何度もブログを諦めかけました。
でも今は、静かな孤独もまた“書き手の世界の一部”だと受け入れています。

そして、
届くかどうか分からなくても、
今日もまた小さなボールを投げる。

それが誰かの1日を救うかもしれないから。

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